総合政策学部2年 那須亮介
私は、未知なる次の音楽(= x-Music)の政策への関心があるため藤井進也先生の研究会への参加を希望する。そのために、以下に私が取り組んできた作品の資料をいくつか示す。
SocialPool/psykhe-Pantera remix
Cyberia Layer:03 “After Hours”というコンピレーション作品のコンテストに応募し、参加することが決定した作品。Pantera (JJ’s Theme) – WASEI “JJ” CHIKADAという作品からサンプリングして、ビートを作りその上にラップを乗せた。
2019年当時のトラップビートの流行を受けつつも、BPMが下がり気味だったトレンドに対してむしろ高いBPMの上で高速ラップすることで情報量の圧縮を目指した作品。
一般的に、トラップビートはその特徴からBPM90以下でも多彩なフロウを可能とさせる構成になっているが、この作品はBPM171でありながら、三連符や中抜きのフロウによってリスナーを飽きさせないように尽力した。
また、この企画はあるゲームに対するコンピレーションアルバムなので韻を踏みつつその内容に絡めたリリックを書くことで世界観の統一を持たせた。
作詞・作曲 那須亮介
良識/ヘヴンズサイン
ボーカロイドを使った作品。
一般的には、ボーカロイドはその特性上、歌っているキャラクター(この曲の場合「初音ミク」)がその歌を歌っているとしてリスナーは了解している。
あるいはアニメイラストを使い、そのキャラクターに気持ちを仮託させて楽しむような仕組みになっている。
今回はまず映像面ではそういった通常の方法ではなく、実写をしかも人間が出てくる映像を使用した(ちなみにこれは私の子供時代の映像である)
また歌詞もどの立場から歌っているのかわからないようにすることで、リスナーを一般的な状態に置かないように努めた(映像の古さからわかるように、リアルタイムのものではなく過去の人間であることも気持ちの仮託を許さない)
音楽面においても一般的なボーカロイドとは違う作りを試みた。通常、ボーカロイドは複雑なコード進行を使うことや高速のギターのカッティングが使われることで知られている※1 参照
しかしこの曲は基本的にツーコードの反復で作られている。楽曲としての起伏も通常あまりボカロ楽曲では使われない、本当の人間のサンプルボイスをエフェクトで過剰に変化させたりすることで曲に推進力を生み出している。
ルールが多い世界では、それを見極め、その規範を突破しようとする試みが未知なる次の音楽を探すきっかけとなると考えている。
作詞・作曲・ミックス・マスタリング 那須亮介
連作「手前」
今回の研究会の応募のために作った、三曲の楽曲をまとめたものである。
私は現在、環境音楽に対して興味がある。環境音楽とはどのようなものか。日本の著名な環境音楽家「吉村弘」の著書「街の中で見つけた音」からいくつかの発言を引用・参照し、環境音楽について考えていく。
吉村はイギリスのロックアーティスト・ブライアンイーノの活躍が大きいと述べる。
「ロックというフォーマットの中で、感性を豊かにし、生活のバックグランドとなる音のあり方を次々と提示していく。ありきたりの音楽を選挙区して流すバックグラウンドミュージックとは異なり、ゆっくり穏やかな空気の流れのようなサウンドで、それでいてなっていても気にならず、聞き流しのできる、また時には無視できるものだった」※2
このように一般的に捕らえられている夢中で聞く音楽とは違い、聞き流せるような心地の良い音の連なりという新たな領域が70年代以降発見された。
そして、さらに吉村はこのような状況に対して、「音はコミュニケーションである」という指摘をしている。
例えば、新幹線の車内販売ではワゴンが近づくにつれてラジカセからサイン派の音が鳴る。しかしそれは、車内販売の音としてはいささか寂しいと吉村は考える。この音では客に対するコミュニケーションがなされず、むしろ売り声の方が車内の単調な空間に変化を加え、ささやかなコミュニケーションの糸を繰り広げるとしている※3
このように、単調なサイン派を流すだけではただ販売が来たと知らせるだけであり、それは空間にコミュニケーションをもたらさず、ただの移動の場所として新幹線内を固定させる。
また、吉村は駅のアナウンスや自分の名前を連呼する選挙カーなどの街から出る大きな音を以下のように分析する。
「これは古典的とも言える市の賑わいをそのまま再現しているようにも見えるけれど、客とのコミュニケーションの上でなりたつものではなく、極めて一方的なインフォメーションとしてながされている」※4
つまり、環境音楽とは聞き流せるように街や都市で流れているからと言ってそこにコミュニケーションが必ず生まれるわけでもなく、むしろそれらを阻害する要因になっているとも考えられる。
その上で、現在の2020年代における環境音楽について考えてみたい。私は、現在最も流行している環境音楽の一つに「LofiHiphop」を挙げる。
昔のレコードのような音質で甘いメロディのループとヨれたビートが特徴の音楽ジャンルである。”lofi hip hop radio – beats to relax/study to”と題したストリーミングチャンネルは再生回数は2億1,800万回を記録した※5
多くの人は名前の通りリラックスするためや勉強のためにそのチャンネルを流す。しかし、チャット欄を見てみると別の側面が見える。
「コミュニティが不眠や睡眠障害などに苛まれるリスナーの安息の場所となっているところがある。ローファイ・ヒップホップのBGM的なサウンドが癒しの効果をもたらすというのももちろんのこと、チャンネルにチャット機能があり、そこがリスナー同士での交流の場ともなっているのだ。例えば睡眠障害で「眠れない」というユーザーに「君が眠れるように祈ってるよ」とコメントするような会話がユーザー同士で行われている。」※6
ここでは同じ病気をもった人間たちのコミュニケーションの場としても使われている。コミュニケーションが取られ、聞き流せるような音楽ならばそれは環境音楽と定義上呼んでも差し支え無さそうだ。
それではここで、過去の環境音楽と現代の環境音楽の違いについて見ていく。以下に過去と現代の環境音楽の例を載せる。
過去の環境音楽は聞き流そうと思えば聞き流せる、そして気づくかわからないほどの些細な変化で展開していく。現代の環境音楽はループ構造ではあるものの、音の抜き差しははっきりしていて、そしてそれぞれのフレーズの強さが目立つ。
この違いを考えると前者は空間を包み込むように存在しているが、後者は個人個人に対して訴えかけるように響いている。
つまり、コミュニケーションの点で考えると現代の環境音楽は個人個人に対して語りかけ、その波長が合うもの同士がつながり合うことを表象している。
先ほどの不眠症患者の例のように、同じ痛みを分かち合うことができるのは利点ではあるがそこには全くの他者とのコミュニケーションを生むことは何もなく、蛸壷化した空間を作る。
また一曲あたりの短さ特徴である。それゆえ、同じ曲を何度も何度も聴きある種の自家中毒的な状況を生み出す(Spotifyのローファイ・ヒップホップのプレイリストは軒並み一億回を超える再生回数を叩き出す)かと言って過去の作品のみが素晴らしいと言うのは未知なる次の音楽のための契機にならない。
ここで私が連作「手前」で目指した環境音楽は現在でも過去の手法でもない新たな方向性だった。
この楽曲の特徴はまず短いことが挙げられる。全てが1分代だ。しかしこれらの楽曲に強力なフックのようなものはない。この楽曲は全て本来は7分代の環境音楽だった。その作品の中の1分を切り取っている。
これらのことから、この楽曲は中途半端な印象を残す。長尺の曲の一部だけを聴き、作品として盛り上がったり完結する前に全て消えてしまう。全てが何かの「手前」で終わっていくことからこの名前になった。
映像も決して大仰なものではない(南の島や美しい夜景といったもの)かといってハードなミニマリズムを標榜するわけでもない(真っ白な部屋や廃墟といったもの)。どこかで見たことあるが、しかしどこで見たか思い出せないそんな記憶の像を結ぶ「手前」の映像をつけた。
この作品を流すことによって、「思い出せそうで思い出せない人を一緒に思い出す」ようなコミュニケーションを生み出すような作用が起こることを目指した。新しい環境音楽は新しいコミュニケーションを生み出す。
最後に
このように未知なる次の音楽を探すためにいろいろな作品を作ってきた。しかし、多くの展覧会にアートに触れ(x-Music展含め)インスタレーションによる新しい音楽の世界に関心が湧いた。それを学べるのはこの研究会なので参加を希望します。
使用可能機材 Ableton/Jitter/Max/Logic
※1
https://realsound.jp/2020/08/post-599468.html
※2
街のなかでみつけた音 吉村弘 春秋社(1998年)14Pより引用
※3
街のなかでみつけた音 吉村弘 春秋社(1998年)12-13Pより参照
※4
街のなかでみつけた音 吉村弘 春秋社(1998年)7Pより引用
※5
https://hypebeast.com/jp/2020/3/lofi-hip-hop-popularity-criticism-youtube-livestream
※6
https://www.arban-mag.com/article/55108