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歳を取ることについて

 歳を取るということはそれだけで最悪だ。若い頃は無条件で素晴らしいということではもちろんない。実際生活は今の方が随分と快適だ。制服も着なくて良いし(毎日同じ服を着るのなんて耐えられない)、冷え切った体育館で立って話を聞かなくても良い。それでも歳を取るということは最悪だ。

何故ならそれは可能性が失われていくことと同義だからだ。もしかしたらこれから何か良い人物になれるかもしれない。自分は変われるかもしれないという希望を持つことがもう24歳ぐらいを超えたら難しくなるだろう。社会的には配偶者をつくり、家庭を持つことが想定される年齢だ。お前の時間はお前が刷新されるために使われるのではなく、社会の構成要因として真っ当に機能するために使われる。人生はお前のものではなくなる。

 仮にそう言った役割から撤退したとしても夢を見ることは尚、難しい。今までの経験がもうお前の未来をシミュレートしてくれている。もう俺は自分が明るく朝起きられる日が来るとは到底思えない。

 最近10代の子と喋る機会が増えた。彼らはもちろん色々悩み事がある。結構深刻な状況な子もいる。しかしそれでも彼等には根源的な明るさがあるような気がする。これは彼等が真面目に自分達のことを考えていないとかそういう訳では一切ない。ただ10代には予めそういった「なんとかなる」的な明るさが無条件で付き纏ってしまっているんだと思う。

 だって冷静に考えて15とか17歳で人生が終わるとは思えない。今からどうにでもなるだろう。これはある種の事実としてそうだと思う。だから彼等は本当の絶望にはまだ届いてないと思う(10代ならではの絶望もあると思うがそういう深みのある人生を俺は送ってないのでわからない)

 そして20代の半ばを過ぎた俺は本当の絶望に近づこうとしている。16歳ぐらいの時、参考書コーナーで本を漁ってる時は自分がどの大学にも、どんな職業に就くこともできるような気がした。そう言ったトキメキはもうなく、人生の大半は予測がついている。俺がパイロットになることも医者になることもない。自分の日々狭まる可能性を噛み締めて生きている。

 こういった人生の中で、今、加湿器が俺の心を支えている一つになっている。暖房を入れる日が多くて、乾燥するので最近購入した。この水を汲んで、ボタンを押して水蒸気を出す行為が俺を救っている。

 部屋を加湿する行為は、この世に残された絶対的な善の一つだ。ウイルスの除去、喉への労り、肌環境の整え。悪いことを探す方が難しい。

 そういった確実に良くなる未来のために俺は水を汲むと言う努力をして、部屋を加湿して睡眠薬を飲んで眠る。

 外に出掛けて何か新しい自分の可能性を見つけていた若い日々が終わり、俺の可能性は今や加湿器とキッチンの往復の中にしか存在しない。もしこの喜びが消えたら後にはきっと何も残らない。

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